「聖徳寺の会見」
斎藤道三が
婿である
若き日の織田信長と
たぶん
最初で最後の出会いを
果たした場所。
愛知県一宮市にある
かつては
大きなお寺だったそうですが
今は堤防脇の片隅に
ひっそりと石碑がたっています。
斎藤道三、、
下克上の体現者として
父の野望を受け継ぎ
陰謀の限りを尽くし
一介の油商人から
主君である美濃守護大名
土岐頼芸を
美濃から追い出して
国を盗ってしまった男。
蝮と呼ばれたその男には
濃姫?帰蝶と呼ばれる娘がおり、、、
そして木曽川を挟み、尾張の虎と呼ばれる
織田信秀。
戦国大名として
金と戦いにまみれた
人生だったみたいです、、
かつては美濃の道三と
何度も争いましたが
彼の息子である
信長と濃姫を結婚させることで
和睦します。
信秀の後継である
息子、信長はばか殿で有名で
世間から言われ続け
その噂を道三も
きっと耳にしたことだと思います。
1553年(天文22年)
道三はその娘婿となった
ばかで有名な
信長という男はどんなものか
見極めるがため
聖徳寺で
会うこととなる、、
道三は先回りして
聖徳寺へ到着。
折り目正しい上品な姿の
家臣たちへは
正徳寺へ向かう
信長を迎える準備をし
道三はこっそりと
町外れの人目のつかない小屋で
信長の行列を隠れて見ていたという。
聖徳寺へ向かう信長の姿、、
もはやその道三の
いや世間の
おそらく
常識の範囲外で
信長は猿回しのような格好で現れ
その
信長を囲むお供たちの姿は、、、
6メートルの朱槍を持つ
およそ500人の兵。
槍だけではなく
弓と鉄砲を持たせ
行列は聖徳寺へ進む。
しまいには、、
初めて会う娘婿信長、、
その猿回しの格好は
舅である道三との会見の場では
ビシッと正装を整えて
臨んだといわれます。
、、しかも信長が正装したのは
生まれて初めて、、
らしい。
「彼はうつけではない、、、、」
その会見の帰り道
斎藤勢の槍は短く、、
想像を遥かに超える
織田勢の長い槍を眺め
そして鉄砲衆をも揃え
ものも言わず立ち去っていく
道三の気持ちとは、、
この会見により
道三の信長に対する
評価は変わったそうです。
結果として大躍進を遂げ
天下統一を果たすまでになる
織田信長の
有名なエピソードですが
もし、若いうちに信長が
暗殺されたり戦死したりしてたら
ばか殿のまま
歴史に名を刻んでいたのでしょうか、、、
そしてこの会見から3年後、、
斎藤道三は
自分の息子である斎藤義龍に
長良川河畔で無惨にも
殺されることとなる、、、
2020年2月から
ユーチューブも始めました。
つっこみどころ満載で
映像、音声も未熟な点も
ありますけれども
お時間あるときに
よかったら
れきぴーちゃん
ご覧ください。
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